ひだまりカフェ通信 第4号 平成30年8月1日

漢文編 第1回 論語「恕」

「其れ恕か、己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」

 これは、よく聖書の言葉と比較される。聖書では「己の欲することを人に施すべきである」となる。同じことを言っているようであるが、実は大きく異る。何が違うかというと、一番は他人との関わり方であろう。論語では他人に積極的に関わらなくても済むが、聖書の方は、積極的に他人に関わらないと実行できない。関係性と距離感が大きく違うと思う。
 ところで、ここで取り上げたいのはこのことではなく、冒頭の「恕」の方である。
 子が親に対して抱くべき心を「忠」「義」だとすれば、親が子に対して抱く心が「恕」である、と考えたらどうだろう。孔子は自分の息子が殺人を犯し官憲から逃げて、親のところに匿ってくれるようにと頼って来たときにどうすべきかについて語っている。
 それは、親が子を庇うのは当然の感情であり、正義に優ることであるから罪になるとしてもそれは許されることなのである、と弟子に答えている。
 この感情を「恕」といいうのであろう。
 無条件に心の欲するままに人を許すことができること、愛情を注ぐこと、それが「恕」である。